弦楽四重奏曲第14番 嬰ハ短調
1825年から1826年にかけて『弦楽四重奏曲第14番』を作曲した頃、ベートーヴェンの耳はすでにほとんど聴こえなくなっていた。そして、1815年にナポレオンが敗北して旧勢力が復活した後、彼が抱いていた民主主義に対する信念も激しく打ちのめされていた。このような状況の中で、ベートーヴェンは妻を見つける希望さえも失ってしまっていたと考えられている。トーマス・マンが述べた通り、この時期のベートーヴェンは「精霊の世界の孤独なプリンス」だったのだろう。しかし、この痛々しいまでの孤独の中から、多くの人々が彼の最高傑作と見なしている作品が生み出されたのだ。『弦楽四重奏曲第14番』は、ベートーヴェンがすっかり自分のものにしたこの形式の楽曲の中でも、おそらく頂点に立つ作品だろう。この作品は間を空けずに演奏される七つの楽章から成り、そのほとんどは確固たる実体を持っているが、あっという間に終わってしまう謎めいた楽章もある。リスナーをさまざまな感情へと導くこれらの楽章は、時に究極の激しさも見せる。始まりはゆっくりと進んでいく絶望的なまでに悲しいフーガだが、続いて現れるのはやや風変わりで遊び心も感じさせるスケルツォ。次にコミカルなようでいて情熱的でもあるレチタティーヴォを挟んで、その後には痛みを伴いながらも恍惚(こうこつ)の高みへと昇っていく変奏曲が続く。次のスケルツォはユーモアにあふれたものだが、気が付くとアダージョのピュアな嘆きに取って代わられ、その後のエネルギッシュなアレグロは、まるですべての感情を理解しようと奮闘するかのようだ。そして楽曲は、やや奇妙であいまいな雰囲気の中、何かにあらがうようなジェスチャーを見せて幕を閉じる。この曲の演奏を聴いたシューベルトは、「この後、われわれに書くべきものなど残されているのだろうか」という言葉を吐いたと伝えられている。
