交響曲第4番 ヘ短調
チャイコフスキーの『交響曲第4番』は、過酷な運命に打ち勝った喜びと幸せをことほぐものだ。作曲が行われた1877年から1878年は、作曲者にとって苦悩と希望が入り混じる時期だった。1877年、チャイコフスキーは同性愛者であるにもかかわらず女性と結婚した。しかし夫婦関係は最悪なものであり、うつ病になった彼はついに自殺未遂を起こしてしまう。その一方で幸運な出来事もあった。前年の1876年、チャイコフスキーはナジェジダ・フォン・メックという新たなパトロンを得ており、彼女による経済的/精神的な支えによって危機を乗り越えることができたのだ。作曲家は『交響曲第4番』をフォン・メックに献呈し、彼女に宛ててこの作品を解説する手紙を何通も書いた。第1楽章は威厳に満ちたホルンのファンファーレで幕を開ける。これはチャイコフスキーがベートーヴェンの『交響曲第5番』の冒頭にある「運命」のモチーフになぞらえたものだ。このモチーフは第1楽章を通じて何度もリピートされ、ワルツを含む明るいパラグラフが現れても、それをさえぎるように暗然たる思いを突き付ける。第2楽章の冒頭でオーボエが奏でる旋律は穏やかなものなのだが、そこには悲観的でほの暗い雰囲気が漂っている。チャイコフスキーはこの楽章を「疲れ果てた一日の終わりに味わう憂鬱(ゆううつ)な気分」と表現している。第3楽章「スケルツォ」では終始ピチカートで奏でられる弦楽器が推進力を発揮する。作曲家はこの楽章について「初期段階の酩酊(めいてい)」が「イマジネーションを駆け巡らせる」と書いている。その言葉通り、木管楽器と金管楽器によるくだりは、陽気な歌声や遠くで行進する軍隊など、現れては消えてゆくさまざまなイメージを次々と呼び起こす。終楽章ではロシア民謡「白樺は野に立てり」のメロディが、華々しい管弦楽曲に昇華されている。終盤には「運命」のモチーフが再び登場するが、ここでは音楽のポジティブなエネルギーがより強い力を発揮し、交響曲は勝利の炎に包まれながら幕を閉じる。
