「モーツァルトを演奏する上で最大の課題の一つであり、最もやりがいのあることでもあるのは、音符の一つ一つに込められている美的な価値や目的、意味を理解しなければならないという点です」と、ヤン・リシエツキは Apple Music Classical に語る。「単に音量や技巧に頼ったり、たくさんの音を弾いたりすることでごまかすことはできません。 だから“今あるもの”に集中しなければならないのです」。カナダ出身のピアニストである彼が持つ、細部とニュアンスに対する鋭い感性は、モーツァルトの『ピアノ協奏曲第9番 変ホ長調 K. 271』と『ピアノ協奏曲第22番 変ホ長調 K. 482』の雄弁な演奏にはっきりと表れている。『第9番』はモーツァルトが21歳の誕生月に書いたもので、輝きに満ちた『第22番』はその8年後にウィーンで作曲された。これら二つのコンチェルトには、どちらも変ホ長調で始まって変ホ長調で終わることや、内省的な短調の緩徐楽章を持っていることなど、似通った特徴が多くある。中でも特に印象的な共通点は、両者ともピアノによってまるで歌うかのように奏でられる旋律を持っていることだろう。
「モーツァルトはオペラを得意とした作曲家であり、そのことは彼の協奏曲にも非常に明確に表れています」とリシエツキは言う。「彼はピアノをまるで声のように扱って、ピアニストを歌手に見立てて作曲しているのです。そして、オーケストラの特定の楽器が同じ役割を担うこともあります」。その例としてリシエツキは、『第22番』におけるフルートとクラリネットのパートを挙げる。クラリネットは、この『第22番』でモーツァルトのピアノ協奏曲に初めて登場する楽器だ。「私たちの間には常に対話の要素があります」。その対話は、『第9番』の緩徐楽章におけるピアノと弦楽器の情感豊かなやり取りの中にも見られる。「これはこれら二つの協奏曲における最も重要な側面の一つだと思います。そして、指揮者ごとに演奏の仕方がまったく異なるため、私自身がかなり柔軟でなければならない部分でもあります。指揮者が何らかの方向性を持っていれば、私はそれに合わせられます。それは刺激的でもあり、魅力的でもあります。もちろん、すべてのアイデアに賛同できるわけではありませんし、すべてを喜んで受け入れられるわけではありませんが」
リシエツキは、指揮者のマンフレート・ホーネックの中に自身と共通するスピリットを見いだし、大いに感激したという。「初めて一緒にモーツァルトを演奏した時、すぐにそこにはスタイルにまつわる特別な感覚や楽曲への配慮があること、そして、その楽曲に対して私たちが共有している何かがあることを感じました」。いくつかのオーケストラと共演を重ねた後、ピアニストと指揮者は、バンベルク交響楽団と共にバイエルン州にある彼らのホームタウンでモーツァルトによる二つの変ホ長調の協奏曲を1週間かけて録音する機会を得た。「仕上がりには、本当に、本当に、満足しています」
フレージング、ダイナミクス、繊細な表現といった要素を終始注意深く扱っていることに加え、このアルバムの演奏には豊かな即興性が宿っていて、それが生み出すオーケストラの多彩なテクスチャーがリスナーの耳を引きつける。例えば『ピアノ協奏曲第22番』の快活な終楽章の途中に挿入される緩やかなメヌエットにおいて、フル編成の弦楽セクションがいかにして弦楽五重奏に道を譲っているかを聴いてほしい。また、両協奏曲の中間楽章にも、共通して室内楽的な音楽作りの雰囲気が漂っている。リシエツキはここで、しばしば旋律のみか、あるいは右手の旋律に左手のシンプルな伴奏が添えられるくらいのピアノパートから、歌うような調べを描き出している。「ピアノで長い旋律を弾くとき、歌手のようにビブラートを加えることはできませんし、音を持続させることも、いったん鳴らした音にそれ以上の形を与えることもできません」と彼は言う。「表情豊かなフレージングを行うためには計り知れないほどの集中力が必要です。だからこそ、うまくいったときには大きな喜びがあるのです」
ヤン・リシエツキが初めてモーツァルトのアルバムを制作したのは、彼がまだ10代半ばの頃だった。『ピアノ協奏曲第20番』と『第21番』をカップリングしたそのアルバムから15年が経ち、彼のモーツァルトへのアプローチはどのように変化したのだろうか。「経験によって形作られた部分を除けば、私のアプローチが大きく変わっていないことを願います」と彼は答える。「私はただ、音楽が自ら語るままに任せているだけで、過度に分析したり、考え過ぎたりはしません。それこそが、マエストロ、ホーネックとの今回の経験を素晴らしいものにした理由の一つです。彼がオーケストラに対して、例えば特定のフレージングや音のまとまり、ディミヌエンドなどについて説明する内容は、私にとってまったく当然のことと思えるものでした。なぜなら、それは私の演奏の仕方や私の理解の仕方と同じだったからです。こうした自然な感覚を共有でき、直感的に理解してくれる音楽家たちと仕事をするのは、本当にありがたいことです」