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- 2004 · Blandine Rannou
フランソワ・クープラン
バイオグラフィー
フランソワ・クープランは、リュリとラモーの間で最も重要なフランス人音楽家の一人であり、1500年代から19世紀半ばまで続いたパリの“音楽王国”を形成したメンバーの中でもとりわけ優れた才能を輝かせた。クープランは1668年にパリで生まれた。彼は他の家族と同じようにサン・ジェルヴェ教会のオルガニストを務めた。1693年からはフランス宮廷と関わりを持つようになり、ヴェルサイユ宮殿のオルガニストとしてルイ14世に、1717年からはクラヴサン奏者としてルイ15世に仕えている。作曲家としては基本的に小品を得意とし、繊細なタッチ、抑揚のあるリズム、華やかな装飾音、あるいはリュートなどのクラヴサンに似た響きを持つ楽器の語法を鍵盤上で生かすといった手法によって、フランス独自のクラヴサンのスタイルを発展させていった。クープランは1713年から亡くなる1733年までの間に4巻のクラヴサン曲集を出版し、その中で220曲以上の小品を発表した。これらの曲は大きく二つのタイプに分類できる。一つは舞曲であり、もう一つは、例えば『Le Moucheron(羽虫)』のような興味深いタイトルが付けられた、リスナーの想像力を刺激する楽曲だ。またコレッリの信奉者だった彼は、『Les Concerts Royaux』(1722年)などの室内楽曲の中でフランスとイタリアの様式を融合させることにも、生涯をかけて取り組んだ。1714年の聖木曜日を祝うために書かれた『Leçons de ténèbres』は、彼の作品の中で最も官能的でドラマチックな音楽だ。クープランの楽曲を称賛する者の中には、ブラームス、リヒャルト・シュトラウス、ドビュッシー、ラヴェルをはじめとする大作曲家たちもいる。