アロンソ・ロボ
バイオグラフィー
アロンソ・ロボは生前、彼の師であるフランシスコ・ゲレーロや友人だったトマス・ルイス・デ・ビクトリアをはじめとする作曲家たちから、同時代のスペインにおける最も優れた作曲家の一人と評価されるほどの存在だった。出版された作品は、1602年にまとめて印刷された六つのミサ曲(そのうちの五つはゲレーロのモテットに基づく)と七つのモテットだけだったが、この楽譜集は大人気となって広く流通し、大西洋を渡って遠くメキシコにまで届いていたという。1555年にオスナで生まれたロボは、トレドやセビリアの大聖堂で音楽監督を務めるなどして生涯をスペインで過ごし、1617年にこの世を去った。彼の楽曲において最も特徴的かつ魅力的な要素の一つは不協和音を使った表現を含む和声の冒険であり、それはフェリペ2世のための葬送モテット「Versa Est In Luctum」(1598年)や聖土曜日のための「Lamentations」などの作品で、リスナーに大きな感動を与える効果を発揮している。