交響曲第6番 イ長調

WAB 106

アントン・ブルックナーの『交響曲第6番』は、長年にわたっていわゆる“隠れた名曲”だった。実際、音楽自体も謎めいており、特にエンディングは奇妙なあいまいさを呈するもので、彼の他の交響曲に多く見られる、すべてをまとめ上げて肯定するような結末とは趣を異にしている。これは、作曲当時のブルックナーが抱いていた心情を反映したものなのかもしれない。1877年、すでに『第4番』と『第5番』を書き上げていたブルックナーは、ようやく『交響曲第3番』の初演にこぎ着けるが、このコンサートが屈辱的な結果に終わったことに深く傷つき、『第6番』の作曲に取りかかるまでに2年の歳月を要した。幼い頃に養子先で疎んじられ、長じてからは幾度となく求婚するもついぞ受け入れられることがなかった彼は、孤独に苛まれ、精神的に深く落ち込んでいた。そこに追い打ちをかけた『第3番』の無残な失敗によって、ブルックナーが、作曲家という“天職”までをも疑う気持ちになったとしても、不思議ではないだろう。「第1楽章」の冒頭で、ブルックナーは、得意の神秘的な弦のトレモロの代わりに躍動的なリズムを用いて明るい音世界を創出しようとしているように見える。しかし、影はすぐに落ちてくる。続く「アダージョ」は、何もかもを受け入れるような雰囲気を持つ精妙なコーダに到達するまでの間、染み渡るような寂しさと絶望感に支配されている。不穏な雰囲気に包まれた「スケルツォ」は、後のマーラーへの影響を感じさせる。終楽章は、ブルックナーの楽曲の中でもとりわけ不可思議な全休止を伴うもので、最後の最後には彼の信仰心が表現されているものの、そこに至るまでのほとんどの部分は、破壊性と不信感に満ちている。とはいえ、この交響曲を、先入観を持たずに聴けば、楽曲自体が語る感動的で説得力のあるストーリーを感じ取ることができるだろう。

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