チェロ協奏曲 ロ短調

B 191、Op.  104

あまたのチェロ曲の中にあっても、とりわけ高貴で壮大な記念碑的作品であるドヴォルザークの『チェロ協奏曲』には、故郷ボヘミアを離れてから彼が抱いていた郷愁の念が込められている。この協奏曲は、彼がニューヨークの国立音楽院の院長を務めていた3年間の最後の年に書かれたものだ。着想は、ドヴォルザークに対してチェロの独奏とオーケストラとの絶妙なバランスの取り方を示唆したヴィクター・ハーバートの『チェロ協奏曲第2番』をはじめ、複数のソースから得られた。当時のドヴォルザークは祖国への帰還が近づく中で幸福な気持ちになっており、それは特にフィナーレに象徴されている通り、この作品にチェコの民族音楽のエッセンスが盛り込まれていることによく表れている。しかしその幸せは、ある知らせによって損なわれてしまう。ドヴォルザークの義姉であるヨセフィーナ・カウニッツ(かつては彼のピアノの弟子でもあった)が、重病になったというのだ。印象的で心に染みる二つの主題に彩られた悲しげな第1楽章に続く「アダージョ」は、ヨセフィーナにささげられたものだ。ここでは彼女のお気に入りだったというドヴォルザークの歌曲「Lasst mich allein」の旋律が引用されている。そして、彼女の死を知った時に舞曲風のフィナーレを作曲中だったドヴォルザークは、ここに追悼の意を込めて黙想的なコーダを付け加えた。「フィナーレはため息のように徐々にディミヌエンドするが、再びボリュームを上げる。そして最後のくだりはオーケストラによって奏でられ、嵐のようなムードで締めくくられる」と、作曲家は書き残している。この作品は1896年にイギリスのチェリスト、レオ・スターンの独奏と作曲者自身の指揮によってロンドンで初演されると、たちまち大好評を博すこととなった。

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