スターバト・マーテル ヘ短調

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ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージの『Stabat Mater』は、耳に心地よい不協和音と印象的なリズム、そして、まるで天使に授けられたかのような、美しく、表情豊かなメロディといった要素を特徴とする。当時、ナポリの貴族たちが結成していたとある宗教団体は、毎年行われる聖金曜日のミサで、アレッサンドロ・スカルラッティが1724年に書いた2人のカストラートとストリングスのための『Stabat Mater』を歌っていた。ペルゴレージの『Stabat Mater』は、このスカルラッティの曲に代わるものを求めていた同団体の委嘱を受け、いわばこの先達に対する若い作曲家からの回答として、同様のテキストと編成を用い、1736年ごろに作曲されたと考えられている。この作品は、十字架のふもとにいる聖母マリアの姿を、「Vidit suum dulcem natum」や「Eia mater fons amoris」をはじめとする胸を打つアリアや、心を溶かす二重唱「Quis est homo」などによって、感動的に描き出すものだ。同作は、1749年にロンドンで初めて出版されると、バッハがこの曲にドイツ語の歌詞を付けたバージョンを含む無数の筆写譜が出回り、毎年パリで行われる公演では街から人々の姿が消えるほどの観客を集めるなど、大きな広がりを見せていく。そして、同作の人気を後の時代に伝える上で決定的な役割を果たしたのは、1830年代の初頭にヴィラローザ侯爵が伝聞から捏造(ねつぞう)したロマンチックな神話だった。ペルゴレージの初めての伝記を書いたこの侯爵は、26歳の誕生日を迎えたばかりで最期の時を迎えつつあった作曲家が、理が非でもこの神聖な楽曲を完成させなければならないという強い思いを抱き続け、何とか書き上げたばかりの楽譜を握りしめたまま息を引き取ったという架空のドラマを、その伝記に盛り込んだのだ。実際のところは、この楽譜は作曲者が亡くなる数か月前に教会に納められていたという証拠があったのだが、死の床の伝説は、18世紀の半ばにカルト的な地位を確立した楽曲にまつわる秘話として人々を魅了したのだ。