鍵盤楽器のための協奏曲第1番 ニ短調
『チェンバロ協奏曲第1番 ニ短調BWV1052』は、1730年代にバッハが指導に当たっていた、主に学生たちから成る演奏団体が、ライプツィヒにあったツィマーマンのコーヒーハウスで開いていたコンサートで演奏するために書かれたものと考えられている。この作品は、バッハの七つの鍵盤楽器のための協奏曲の中でもとりわけよく知られているもので、そのドラマチックなスタイルと短調の情緒的な響きは、19世紀の音楽的嗜好(しこう)にもよく合い、1830年代にフェリックス・メンデルスゾーンによってピアノで蘇演された。この作品は、ソリストに対してかなりの即興の自由と華やかな技巧を披露する場面を与えているという点で、バッハの他のチェンバロ協奏曲と一線を画している。おそらくバッハがそれ以前に作曲していたヴァイオリン協奏曲(現在は失われている)を編曲したものであるということにおいては、鍵盤楽器のための他の協奏曲と同じなのだが、この曲に関しては鍵盤パートの書法が全体的に紛れもなく鍵盤楽器的であり、両手の指に無理なく収まるものとなっている。第1楽章「アレグロ」では、冒頭で全員が一緒に奏でる歯切れのいい主題によってドラマチックな雰囲気と凝縮されたサウンドが生み出され、それが終始繰り返されて、伴奏部分にはより短い音型が盛り込まれている。続く「アダージョ」 でもユニゾンの主題が冒頭と末尾を飾りつつ楽章全体を下支えし、チェンバロの右手が美しく装飾された旋律を歌う。終楽章は熱烈で意気揚々とした「アレグロ」だ。またバッハは1728年に、この曲のすべての楽章を『カンタータ第146番』と『カンタータ第188番』に転用し、独奏パートをオルガンに置き換えている。 バッハのチェンバロ協奏曲について 鍵盤楽器のための協奏曲というジャンルはバロック時代の後期に登場した。バッハとヘンデルという2人のパイオニアが、ほとんど偶然に、ほぼ同時に、それぞれこの形式を取り上げたのだ。バッハは『ブランデンブルク協奏曲第5番』で初めてこのスタイルを試すようなアプローチを見せており、1730年代にチェンバロ1台用、2台用、3台用、4台用の全13作のコンチェルト (BWV1052-65) を作曲した。これらはおそらくバッハが指導に当たっていた、主に学生たちから成る演奏団体が、ライプツィヒにあったツィマーマンのコーヒーハウスで行っていたコンサートで演奏するために書かれたものと考えられている。実際のところこれらの作品は、バッハが作曲したというより、自身のヴァイオリンとオーボエのための協奏曲をチェンバロ用にアレンジしたものだった。バッハは1台のチェンバロのための協奏曲は自身で演奏し、当時の記録によれば、複数のチェンバロを使ったコンチェルトでは、ソリストとして息子たちや弟子たちを迎えていたようだ。