弦楽四重奏曲第16番 ヘ長調

Op. 135

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、最後の弦楽四重奏曲となった『弦楽四重奏曲第16番』を1826年に作曲した。この作品は、1822年から1825年にかけて書かれた『弦楽四重奏曲第12番』から『第15番』までの四つの弦楽四重奏曲と一緒に、“後期弦楽四重奏曲”と呼ばれるのが一般的なのだが、『第16番』をこのグループに入れてしまうことについては疑問も残る。『16番』は他の4作と比べるとかなり簡明な仕上がりになっており、形式にまつわる驚くべき冒険を繰り広げた『12番』から『15番』の後では、『16番』の4楽章の構成は、なおさらオーソドックなものに感じられる。また、『16番』の「第1楽章」では、ハイドンの四重奏曲のような気さくでウィットに富んだ会話が展開されるのだが、これは『12番』から『15番』で見られる激しい内的対話とはかけ離れた印象を与えるものだ。しかし、ここには、深遠さと息をのむほど独創性な瞬間もある。「第2楽章」は、ベートーヴェンのスケルツォの中でも、リズムの面で際立った大胆さが発揮された曲の一つとなっている。この楽章での彼は、軽やかな曲調に誘われて踊る人々の足元からカーペットを引き抜くことに喜びを感じているかのように、リスナーにリズムを見失わせるような仕掛けを何度も施している。続く緩徐楽章は、非常にシンプルな構成でありながら深い情感にあふれており、沈黙が持つ効果も最大限に生かされている。この「レント・アッサイ」は、元々『弦楽四重奏曲第14番』の終楽章にすることを意図して書かれたものだったが、やがてベートーヴェンは、『第14番』には別の文脈が必要だと考えるようになり、『第16番』で使われることになったものだ。「ようやくついた決心」というタイトルのようなものが書かれた「第4楽章」は、ベートーヴェンが自筆譜に“そうでなければならないのか?”と記したモチーフに基づく、スローで物悲しい序奏で始まる。しかし、「アレグロ」は、“そうでなければならない!”と書き込まれたカウンターモチーフで躍動する。その後、苦悩に満ちたオープニングが再現されるのだが、最終的にこの悲劇は喜劇的な真実を覆い隠すためのものであり、再び飛び跳ねるための準備をしているに過ぎない。この作品を書いた翌年の1827年に亡くなったベートーヴェンが、死の直前に遺した言葉の中には、「友よ、拍手を。喜劇は終わった」というものがある。

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