1819年の夏、ベートーヴェンは、ヨハン・セバスティアン・バッハの楽譜の束を抱えて、重要なパトロンだったオーストリアの貴族、ルドルフ大公の図書館を後にした。この行動は、幼い頃からバッハの前奏曲とフーガを探求し、複雑な対位法を徹底的に分析してきた彼の、生涯変わることのなかった学びの姿勢を象徴するものだ。アイスランド出身のピアニスト、ヴィキングル・オラフソンは本作で、バッハがベートーヴェンの後期三大ソナタの一つ目である『ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 Op. 109』に与えた多岐にわたる影響をつまびらかにしている。またこのアルバムでは、ベートーヴェンが40代前半に書いた『ピアノ・ソナタ第27番』と、シューベルトが10代の終わりに書いた『ピアノ・ソナタ第6番』という、いずれもホ短調による精妙な作品の共通点にも光が当てられている。 このアルバムのアイデアは、オラフソンがバッハの『ゴルトベルク変奏曲』に没頭する中で生まれた。彼はこのクラシック音楽の記念碑的な名作を演奏するツアーと録音に1年を費やした。オラフソンはその過程で、音楽における無限で繊細な変奏のプロセスが、人生や自然における変化のあり方を映し出していることに思いを巡らせるようになったという。そして、次なるアルバムのテーマを模索する中で、彼はベートーヴェンの後期三大ソナタに『ゴルトベルク』の気配を感じ取った。そこでオラフソンは、それら三つのソナタを一度に録音するのではなく、『第30番』をバッハからシューベルトへと続く音楽の流れの中に位置づけることにした。 「バッハとともに1年を過ごしたことで、音楽の捉え方が再構築されました」とヴィキングル・オラフソンはApple Music Classicalに語る。「今ではすべてが違って聞こえます。すべての音楽がより多声的に聞こえるようになったのです。以前よりもずっと多くの新しいアイデアが浮かぶようになり、また音楽の質感もまったく違うものに感じられます。今の私にとって音楽はまるで人形劇のようで、すべての声部が生き生きと動いているように聞こえます。それがバッハの音楽がもたらすものです。音楽のテクスチャーが、まるで一つの生命体のように、より有機的なもののように感じられるのです。このアルバムの曲を演奏している時、まさにそんな感覚になりました」 オラフソンはバッハの対位法における定旋律と対旋律を鮮やかに描き分けることによって、それぞれに独自のスピリットを与えている。中でも『パルティータ第6番』の解釈には、歴史的な演奏習慣をめぐる議論を超えた生命力が宿っている。「第3曲の『Corrente』は、とてもジャジーです」と彼は語る。「ものすごくモダンだと思いませんか。ベートーヴェンの音楽にもロマン派の革新性がありますが、それでもこのアルバムで一番モダンなのはバッハだと思うのです。現代性という点では、彼が勝っています。彼がやっているのはとんでもないことです。『Gigue』も聴いてみてください。一体何が起きているのだ、という感じです。あのような不協和音を伴う4拍子のジーグなんて、もはや信じられないとしか言いようがありません」 この『パルティータ』に取り組んでいる間に、オラフソンがベートーヴェンの『ピアノ・ソナタ第30番』に対して持っていた見方は変わっていったという。1820年に作曲されたこの作品の終楽章は、精妙な主題と六つの変奏から成り、そこではバッハ風の対位法が重要な役割を果たしている。「バッハの後に『第30番』を弾くのは、とても興味深い体験です」と彼は言う。そして、第2楽章はバロック期のタランテラのように感じられると付け加える。「ここでのベートーヴェンは、非常に濃密な3声や4声のバロック的なテクスチャーを書いています。確かに、彼はその表現の一部をロマン派的なピアノのスタイルの中に収めているのですが、雰囲気は、バッハをはじめとするバロック音楽を思わせる厳格なものになっています。そして第3楽章の主題は、ベートーヴェンが書いたメロディの中でも最も美しいものの一つです。いや、これこそが最も美しいと言っていいかもしれません。最後に主題が戻ってくるということも、『ゴルトベルク変奏曲』を思わせます。ベートーヴェンがこのような手法を用いたのは、生涯でこの一度だけなのです」 オラフソンはアルバムを録音する前に、ケンブリッジ大学ピーターハウス・カレッジが所有するブロードウッド社のピアノを演奏する機会に恵まれた。そこで彼は貴重な教訓を得たという。最近修復されたばかりのこのピアノは1816年に製造されたもので、ベートーヴェンが『第30番』を書く2年前の1818年に、ロンドンのブロードウッド社からウィーンのベートーヴェンに送られたピアノとほぼ同じ楽器である。「このピアノに触れたことで、音楽に対する考え方、特に、ベートーヴェンが一連の後期三大ソナタの楽譜に記した、強弱、アーティキュレーションをはじめ、その他のあらゆることに対するかなり極端な指示についての捉え方が変わりました。私はモダンピアノの方が好きですが、このブロードウッド社のピアノにはここにしかない多くの美点があります。とても気に入りました。ただ、この楽器はモダンピアノより明確に弾かなければいけません。つまり、ベートーヴェンの楽譜にある指示が極端なのは、このピアノの特性によるものなのかもしれないということです。そう考えるのが自然でしょう。だから、それらのポイントを現代のピアノで再現することは許されるはずですし、むしろ必要なことなのかもしれませんね」 バッハとベートーヴェンは伝統的な形式に基づいて作曲をしていたと、オラフソンは指摘する。しかし、彼らはそれにとらわれていたわけではない。「ベートーヴェンをベートーヴェンたらしめているのは、彼が自身のすべての作品、少なくとも95パーセントの楽曲において、あらゆる要素を問い直していることです。彼は何一つ当然のこととして受け入れていません。バッハも『パルティータ』で同じことをしていると思います。しかし、常に既成の枠組みにあらがっていたベートーヴェンこそ、『おい、枠組みさんよ。私を閉じ込めようとするなんて、あんたは一体何様のつもりだい?』という問いかけをした最初の作曲家なのです」 その型破りな傾向は、シューベルトの『ピアノ・ソナタ第6番』にも見受けられる。この作品は、ベートーヴェンの『ピアノ・ソナタ第27番』のわずか3年後である1817年に書かれた。ヴィキングル・オラフソンは、二つの楽章で構成されるこの『ピアノ・ソナタ第6番』を未完成であるとする見方を否定し、後の編集者たちが他の楽曲を加えて同作を拡大しようとした企てにも異を唱える。「私なら法廷に持ち込んだでしょう」と彼は語気を強める。「私は、この作品が二つの楽章で完結していると信じています。シューベルトは、同じく二つの楽章から成るベートーヴェンの『第27番』の出版直後にこのソナタを書いたのです。これは明らかに偉大な先達に対する敬意の表れです。私はそう確信しています。そもそも、なぜ二つの楽章のソナタがあってはいけないのでしょうか。ましてや、この作品ははっきりとベートーヴェンの『第27番』の二つの楽章に語りかけているのですから。私はこの考えが間違っていると言ってくる人を待っているのですが、今のところ1人もいません。さて、どうなることでしょう」
作曲者
ピアノ