マックス・ブルッフ

バイオグラフィー

マックス・ブルッフは、新ドイツ楽派に同調することも、調性を捨てることもなく、オーセンティックなロマン派の美学を大切にし続けた。ブルッフが最後に完成させた作品である『弦楽八重奏曲 変ロ長調』(1920年)は、彼がその半世紀以上前に作曲した代表作の一つ『バイオリン協奏曲 第1番 ト短調 作品26』(1867年改訂)と同様に輝くようなメロディと堂々たる調性を有するものであり、魅力的な表情にあふれている。マックス・ブルッフは1838年、ケルンの音楽家一家に生まれた。10代の後半に師事したFerdinand Hillerの下で身に付けた、趣味の良さ、秩序のある表現、構造の簡潔さといった古典的な価値観は、彼のその後の作曲活動の土台となった。ブルッフは、『交響曲 第1番』(1868年)を成功させた後、同じく伝統主義者だったブラームスと親交を深めている。スペインの名バイオリニスト、サラサーテとの交流からは『バイオリン協奏曲 第2番』(1878年)や『Schottische Fantasie(スコットランド幻想曲)』(1880年)が生まれた。そして彼の優れた音楽性は『Odysseus』(1872年)や『Arminius』(1877年)といった合唱曲にも存分に発揮されている。1920年のブルッフの死は、事実上ドイツ・ロマン派の黄金時代の終焉(しゅうえん)を告げるものとなった。