- エディターのおすすめ
- 2016 · ジャン=ジャック・カントロフ、リエージュ王立フィルハーモニー管弦楽団
エドゥアール・ラロ
- Māris Kupčs、 Mecklenburgische Staatskapelle Schwerin、 Graham du Plessis
バイオグラフィー
スペインにルーツを持ち、フランスで生まれ育ち、音楽的な祖国はドイツであると公言していたエドゥアール・ラロは、いわば“完全にコスモポリタンなヨーロッパ人”だった。そんな彼は“音楽の旅人”であり、そのことは1874年の『Symphonie espagnole(スペイン交響曲)』や、1878年の『Fantaisie Norvégienne(ノルウェー幻想曲)』、そして1879年の『Concerto russe(ロシア協奏曲)』を聴けば明らかだ。ラロは1823年にリールで生まれ、生涯のほとんどをパリで過ごしている。作曲家としては遅咲きで、『Symphonie espagnole』が大好評を博した時にはすでに50歳を過ぎていたが、この作品の成功のおかげで初期の室内楽にも光が当たった。その中には、シューマンとメンデルスゾーンの影響を感じさせる『Piano Trio No. 1 in C Minor, Op.7(ピアノ三重奏曲第1番)』(1849~1850年)などがある。また、1886年には、これもドイツ・ロマン派的な傾向が前面に出た唯一の交響曲『Symphony in G Minor(交響曲ト短調)』を完成させ、亡くなる4年前の1888年には、10年以上かけて取り組んだオペラ『Le Roi d’Ys(イスの王)』の初演にこぎ着けている。