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- 交響曲の父や、弦楽四重奏曲の父の異名を持つオーストリアの作曲家。現ドイツ国歌の作曲者としても有名。
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン
バイオグラフィー
フランツ・ヨーゼフ・ハイドンは同時代の人々に“パパ・ハイドン”という愛称で呼ばれた。そして、彼の後の時代、19世紀の音楽ファンには“交響曲の父”と“弦楽四重奏曲の父”という異名を与えられた。この二つはいずれもこれらの重要なジャンルを確立した作曲家であることをたたえるものなのだが、ハイドンの底知れぬ探究心、輝くようなユーモア、くめども尽きぬ創造性は、このような言葉でもまだ表しきれないほど偉大なものだ。1732年、ウィーンの東に位置するローラウ村で生まれたハイドンは、29歳の年、1761年から30年弱にわたって、ハンガリー西部の田舎の貴族、エステルハージ家に宮廷音楽家として仕えた。経済的な不安はないものの、ここでの演奏活動は決して刺激的なものではなかったとされる。そんな環境にある演奏家たちの気持ちを思ってのことだったのか、ハイドンは“独創的であらねば”という決意を持って、交響曲や弦楽四重奏曲はもとより、ピアノソナタやピアノ三重奏曲など、当時のさまざまなジャンルの作曲様式に厳密さを加味しつつ、表現の幅を広げることに力を注いだ。その結果ハイドンの楽曲は、若き友人であったモーツァルトや、弟子のベートーヴェンをはじめ、後に続いた多くの作曲家たちに大きなインスピレーションを与えることになったのだ。1790年代には106作のうちの12の交響曲をロンドンで作曲し、人気を博した。晩年を過ごしたウィーンでは、再び宮廷楽長として使えることになったエステルハージ家の公爵夫人の聖名祝日のために書いた“後期六大ミサ曲”や、二つの壮大なオラトリオ『天地創造』と『四季』などの作品で、ヘンデルの偉大な宗教合唱曲の様式を、来たる新世紀に向けて再定義した。