ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ

バイオグラフィー

芸術歌曲、とりわけドイツ語による歌曲であるリートの世界において、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウに勝る名声と影響力を持つ歌手はいないかもしれない。その優雅なバリトンは洗練の極みであり、また、歌詞に繊細に反応し、音楽を通じて物語を伝えることに長けていた彼は、シューベルトの3分の歌曲をオペラに変えることができたのだ。その一方で、彼は優れたオペラ歌手でもあり、31年のキャリアを通じて、モーツァルトやリヒャルト・シュトラウス、ワーグナーによるオペラの役柄に際立った知性をもたらしたことでも称賛された。 1925年に生まれたディートリヒ・フィッシャー=ディースカウは戦時下のベルリンで育ち、17歳の時にベルリンの郊外で行われた演奏会において、初めてシューベルトによる悲痛な歌曲集『冬の旅』を歌った。この公演はイギリス空軍の爆撃による中断を余儀なくされたという。こうした経験は、彼が歌うリートのレパートリーに独特の痛切さをもたらした。また彼は、百科事典のような徹底性をもってリートを録音し、シューベルト、シューマン、ブラームス、シュトラウス、ヴォルフ、メンデルスゾーンのほぼすべての歌曲をリリースした。『冬の旅』に関しては、なんと8回もアルバム化している。一方、『フィガロの結婚』の伯爵や『ドン・ジョヴァンニ』のドン・ジョヴァンニ、そしてヴィルヘルム・フルトヴェングラーの指揮による1952年の伝説的録音『トリスタンとイゾルデ』のクルヴェナールといった役を演じたオペラ作品のレコーディングも、彼の膨大なディスコグラフィの形成に貢献している。知的好奇心旺盛なフィッシャー=ディースカウは、ブリテンをはじめとする同時代の作曲家ともパートナーシップを結んだ。1962年に初演されたブリテンによる『戦争レクイエム』のバリトンソロは彼のために書かれたものだ。フィッシャー=ディースカウの若き日の経験は、この作品に説得力を与えた。そして世界に名だたるバリトン歌手として20世紀を駆け抜けたディートリヒ・フィッシャー=ディースカウは、1993年の元日に歌手活動から引退し、2012年に86歳でこの世を去った。

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