交響曲第9番 ホ短調
アメリカへのラブレターともいえるドヴォルザークの『交響曲第9番』は、クラシック音楽の中で最も普遍的な人気を誇る作品の一つであり、同時に複雑なDNAを持つ楽曲でもある。このホ短調のシンフォニーは、アメリカのナショナル音楽院で院長を務めたドヴォルザークが3年間住んだニューヨーク市で初めて完成させた作品だ。1893年12月16日にカーネギーホールでニューヨーク・フィルハーモニックによって初演される直前に、彼はこの曲に『新世界より』という副題を付けた。ドヴォルザークがアメリカ文化の影響をどの程度受けていたかということについては、現在でも少なからず議論の的となっており、それはこの作品が非常に重層的なものであることを示している。例えば第1楽章の第2主題は、明らかに黒人霊歌「Swing Low, Sweet Chariot」に似ている。これは、ドヴォルザークが音楽院で出会った黒人の作曲家で歌手、Harry T. Burleighの影響によるものだろう。一方、先住民の音楽とのつながりはそれほど顕著ではないが、かつてドヴォルザークは、第2楽章と第3楽章はロングフェローの詩『ハイアワサの歌』に基づいており、ラルゴ(第2楽章)はミネハハの墓前のハイアワサを表していると述べたことがある。またスケルツォ(第3楽章)については、「『ハイアワサの詩』の中の宴でインディアンが踊るシーンにヒントを得た」と語っている。先住民のミュージシャンとの実際の出会いは、バッファロー・ビル・コーディが率いた 『ワイルド・ウェスト・ショー』が1893年の春にニューヨークにやってきた時だったかもしれない。そこにはオグララ・スー族のパフォーマーたちが出演していた。第4楽章では以前の楽章のテーマが再現され、当然のことながら交響曲全体がチェコ音楽のアクセントによって表現されている。