ブランデンブルク協奏曲第3番 ト長調

BWV1048

『ブランデンブルク協奏曲第3番ト長調』は、一連の『ブランデンブルク協奏曲』の中で唯一、独奏楽器と伴奏楽器の区別がない作品となっている。いうなればこれは“全合奏のためのコンチェルト”であり、バッハが設定した、それぞれ3人のヴァイオリニスト、ヴィオリスト、チェリストたちから成る三つのグループによる、ヴァイオリン属の名人芸の祭典なのだ。この楽曲を興味深いものにしているのは、これらの三つのグループの間で絶えず変化しながら続いていく協調関係であり、その一方で時折いずれかの楽器がつかの間のソロの栄光を味わう瞬間も魅力の一つだ。この作品に関して、バッハは珍しく緩徐楽章を書いていない。それに代わるものとして第1楽章と第3楽章の間に置かれているのは、「アダージョ」と記されたフリギア終止の二つの和音のみ。演奏者はこれをさまざまに解釈することができるため、ここにヴァイオリンないしチェンバロのカデンツァが挿入される場合もあれば、他の協奏曲の緩徐楽章を持ち込む者もいる。しかし、バッハの書法が常に厳密なものであったことを思えば、彼はこの部分の解釈を演奏者に委ねたのではなく、単にその前後にある速い楽章のドライブ感を損なわない程度に、ほんの短い息継ぎを入れたかっただけのようにも思える。そして第3楽章は、ソリストが付け入る隙が一切ない、合奏の妙技を極めた疾風怒涛(どとう)の常動曲となっている。ちなみにバッハは1729年に、この協奏曲の第1楽章を2本のホルンと3本のオーボエを加えて再構築し、『カンタータ第174番“Ich liebe den Höchsten”』の壮大な序曲とした。 ヨハン・ゼバスティアン・バッハの『ブランデンブルク協奏曲』について バッハの名作『ブランデンブルク協奏曲』は、実のところ史上最も優れた内容を持つ、“就職活動”のための“履歴書”だった。1721年、バッハはブランデンブルク辺境伯クリスティアン・ルートヴィヒにこの作品の楽譜を献呈しているのだが、これは作曲の依頼に応えたものではなく、自身の辺境伯に仕えたいという気持ちを強く印象付けるためのものだったのだ。『ブランデンブルク協奏曲』というタイトルは、初めてバッハの伝記を書いた作家がこのような経緯にちなんで考案したものであり、バッハは単に『いくつかの楽器のための六つの協奏曲』と呼んでいた。またこれらの楽曲は協奏曲集を作るという構想の下に作曲されたものではなく、辺境伯を意識して書かれたものでもない。そのほとんどが、バッハがケーテン宮廷のカペルマイスターを務めていた時期(1717~1723年)に作曲されているのだ。バッハはこの宮廷での才能豊かな演奏家たちとの共演に刺激を受けて協奏曲の可能性を探求していき、作品ごとにこの形式を新たな次元へと押し上げていったのだ。

関連作品

国または地域を選択

アフリカ、中東、インド

アジア太平洋

ヨーロッパ

ラテンアメリカ、カリブ海地域

米国およびカナダ