ブランデンブルク協奏曲第5番 ニ長調

BWV 1050

ヨハン・ゼバスティアン・バッハの『ブランデンブルク協奏曲第5番 ニ長調』は、実質的に音楽史上初の鍵盤楽器のために書かれた協奏曲だ。このコンチェルトの独奏楽器はチェンバロ、フルート、ヴァイオリンだが、そのうちの2つ、フルートとチェンバロは、当時としては大胆なチョイスだった。1721年のドイツにおいてフルートはまだ目新しい楽器で、ほとんど使われていなかった。また、バッハがチェンバロを脇役から主役に格上げしたことも画期的だった。当時チェンバロは和音を奏でる伴奏楽器として使われるものであって、協奏曲の中心で注目を浴びることはなかったからだ。第1楽章「アレグロ」では、チェンバロが、フルートやヴァイオリンのソロを徐々と乗り越えていきながら、ブランデンブルク辺境伯クリスティアン・ルートヴィヒのために特別に用意された長いカデンツァに向かって進んで行く。バッハがここで辺境伯に対して自身の先見性に満ちたアプローチを強く印象付けようとしていたことは明らかで、その思いは他の楽章にも広がっており、その結果『第5番』は、六つの『ブランデンブルク協奏曲』の中で最も先進的でファッショナブルな作品となっている。第2楽章は独奏楽器群のみによって奏でられる親密な雰囲気のトリオ・ソナタ。第3楽章は、フーガ風の構造を持っているが故、すべての楽器に主旋律を奏でる機会が与えられた魅惑的なジーグとなっている。バッハはその後、この『ブランデンブルク協奏曲第5番』の革新的なアイデアをさらに発展させて、1台のための、2台のための、さらには3台、4台のチェンバロのための計13の協奏曲を書いた。 ヨハン・ゼバスティアン・バッハの『ブランデンブルク協奏曲』について バッハの名作『ブランデンブルク協奏曲』は、実のところ史上最も優れた内容を持つ、“就職活動”のための“履歴書”だった。1721年、バッハはブランデンブルク辺境伯クリスティアン・ルートヴィヒにこの作品の楽譜を献呈しているのだが、これは作曲の依頼に応えたものではなく、自身の辺境伯に仕えたいという気持ちを強く印象付けるためのものだったのだ。『ブランデンブルク協奏曲』というタイトルは、初めてバッハの伝記を書いた作家がこのような経緯にちなんで考案したものであり、バッハは単に『いくつかの楽器のための6つの協奏曲』と呼んでいた。またこれらの楽曲は協奏曲集を作るという構想の下に作曲されたものではなく、辺境伯を意識して書かれたものでもない。そのほとんどが、バッハがケーテン宮廷のカペルマイスターを務めていた時期(1717~1723年)に作曲されているのだ。バッハはこの宮廷での才能豊かな演奏家たちとの共演に刺激を受けて協奏曲の可能性の探求していき、作品ごとにこの形式を新たな次元へと押し上げていったのだ。

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