マタイ受難曲

BWV 244

20人の子どものうち10人を幼少期に亡くしたバッハは、深い悲しみがもたらす多大な心の痛みを知っていた。そうした死別の経験とキリスト教の永遠の救済への信仰が、十字架にかけられたキリストの犠牲の意味とその物語を掘り下げた『Matthäus-Passion(マタイ受難曲)』の源流となったのだ。バッハはしばしば既存のジャンルを、前例のないレベルの音楽的発明やエモーショナルな洞察で彩った。バッハの生前に知られていた二大受難曲は、ルター派の聖週間の伝統に従ってイエスの逮捕、裁判、十字架刑を描いた聖ヨハネと聖マタイの福音書の一節を歌ったものだ。1724年の『Johannes-Passion(ヨハネ受難曲)』で水準を高めたバッハは、それよりもはるかに豊かで複雑な『マタイ受難曲』を作り上げた。初演は1727年の聖金曜日にライプツィヒの聖トーマス教会で行われたと考えられている。実質的にはオラトリオであるこの『マタイ受難曲』が持つ一貫性には、ピカンダーというペンネームで知られるライプツィヒの詩人クリスティアン・フリードリヒ・ヘンリーツィが、聖書の物語、精神的な考察、賛美歌の歌詞を理想的なバランスで組み合わせた台本も、大きく貢献している。モニュメンタルなコラールや、アリア、賛美歌、そして福音史家、イエス、ピラト、ペテロのためのレチタティーヴォなど、多彩な要素を含むこの台本がバッハの無限の創造性を刺激し、ある瞬間の出来事を描き出しながらそのことが持つ時代を超えた意味を探求する音楽を書かせたのだ。バッハは、福音史家のテノールを暴徒の怒号のような合唱と対峙させ、キリストに対するユダの裏切りやペテロの否認を最大限の慈愛に満ちた楽曲で表現している。そしてその音楽は、アルトによる崇高なアリア「Erbarme dich, mein Gott(憐れみたまえ、わが神よ)」で頂点に達する。

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