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- 1988 · ルチアーノ・パヴァロッティ
ルチアーノ・パヴァロッティ
バイオグラフィー
意気軒高なイタリアのテノールという存在が、オペラにおける最も象徴的なものの一つであることは間違いないだろう。ルチアーノ・パヴァロッティはその理想的なテノールの姿を見事に体現し、1億枚を超えるアルバムを売り上げた。 パヴァロッティは1935年にイタリアのモデナで生まれた。父親はパン職人で、アマチュアのテノール歌手でもあり、充実したレコードコレクションを持っていた。ルチアーノが声楽を学び始めたのは19歳の時。1961年には国際コンクールで優勝し、同年、プッチーニの『ラ・ボエーム』のロドルフォ役でデビューした。パヴァロッティの明快で表情豊かなスタイルはキャリアの初期からのもので、ベルカントソプラノのジョーン・サザーランドと、彼女の夫で指揮者のリチャード・ボニングという、ベルカントオペラ復活の立役者たちと重要なリレーションシップを築き始めた頃までに、すでに完成されていた。パヴァロッティは、この2人と共にドニゼッティのオペラを収録したアルバム『La Fille du Régiment(連隊の娘)』(1967年録音)のアリア「Ah! mes amis(ああ!友よ)」における並外れた歌唱で、“キング・オブ・ハイC”としての地位を確立したのだ。1972年にズービン・メータの指揮でレコーディングされた名作アルバム『Puccini: Turandot(トゥーランドット)』における「Nessun dorma(誰も寝てはならぬ)」は、パヴァロッティの代名詞となった。彼が得意としたのはプッチーニやヴェルディ、ドニゼッティの作品における喜劇的な役であり、また数えきれないほどの人気歌曲やクリスマスの名曲もレコーディングしたが、その一方、ヴェルディの『Requiem(レクイエム)』の「私は、あやまち嘆き」などでは、よりシリアスな音楽性も示している。1990年にはプラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスと組んだ、三大テノールのメンバーとして初めての公演やアルバムのリリースを行い、その後はクラシック音楽を聴かないリスナーの間でも、広く知られる存在となった。ジャンルも国境も越えたスーパースターとなったルチアーノ・パヴァロッティは、2004年にオペラから引退し、2007年に71歳で亡くなった。