スヴャトスラフ・リヒテル

バイオグラフィー

スヴャトスラフ・リヒテルは1958年に、それまで演奏不可能とされていたムソルグスキーの『展覧会の絵』をライブ録音した。彼はこの音源によって、1960年にソ連当局がリヒテルに対して東欧諸国以外でのパフォーマンスを許可する以前に、高度な技術的要求にもひるむことなく、大胆で個性的な演奏をするピアニストとしての名声を広く確立した。 1915年にウクライナの北西部で生まれたリヒテルは、父親によるレッスンを別にすれば、オデーサのオペラバレエ劇場でコレペティートル(ピアノを弾きながらオペラ歌手の歌唱指導をする)の仕事をしていた時代も含め、基本的には独学でピアノを習得し、1934年にはショパンを弾いて公の場にデビューした。彼がモスクワ音楽院でHeinrich Neuhausに師事したのは、その後、1937年から1946年のことだった。 1940年にプロコフィエフが自身の猛烈な『ピアノ・ソナタ第6番』を初めて全曲演奏するのを聴いたリヒテルは大きな衝撃を受け、プロコフィエフの熱烈な支持者となった。続く『第7番』(1943年)ではプロコフィエフに初演を任されるという栄誉に浴している。その際、リヒテルはたった4日間の練習で、この作品を弾きこなした。 彼のレパートリーは、バッハ、モーツァルト、シューベルト、ショパン、シューマン、リストの作品を中心としながらも、ブリテン、ベルク、ヴェーベルンまで広がっていった。さらには人生終盤の10年においても、ガーシュウィンの『ピアノ協奏曲』(1993年のパフォーマンスが録音されている)をはじめ、新しいレパートリーを習得していた。 リヒテルは時折、オーディエンスよりも楽曲そのものと交感しているような印象を与える。数々の音源も、並外れた名人芸を持っているにもにもかかわらず、非常にオーセンティックで、人を引き付けようとする派手さには無関心な、彼の演奏の特徴を伝えている。

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