ハービー・ハンコック

バイオグラフィー

1960年代中期にマイルス・デイヴィス・クインテットで記憶に残るパフォーマンスを見せ、同じ時期にBlue Noteから先駆的な作品をリリースしたハービー・ハンコック。仮にその後表舞台から退いたとしても、ジャズ史に最も影響を及ぼした一人として今も語り継がれていただろう。しかし、その後もハンコックは何度となく方向転換を繰り返し、『Mwandishi』(1971年)でのアブストラクトエレクトロジャズに始まり、『Head Hunters』(1973年)では骨太なジャズファンクフュージョンに移行、1980年代にはプロデューサーのビル・ラズウェルと未来を予見した実験的なエレクトロミュージックに挑戦した。シカゴ生まれのハンコックは独自の方法で商業的成功を収め、ジャズとポップの垣根を打ち破りつつ、真のクリエイティブを探究した。2005年のアルバムと2014年の自伝の両方のタイトルにもなっている『Possibilities』こそが、彼の世界観を如実に物語っている。友人でコラボレーターであるジョニ・ミッチェルの楽曲をカバーしたり、ケンドリック・ラマーやThundercat、フライング・ロータスとレコーディングするなど、1973年の代表曲のタイトルのごとく今も“カメレオン(「Chameleon」)”であり続けている。

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