ウラディミール・ホロヴィッツ
バイオグラフィー
流れるようなタッチと妥協なき細部の探求を特徴とするピアニスト、ウラディミール・ホロヴィッツは、ショパン、リスト、スクリャービン、ラフマニノフなどによる楽曲の白熱した演奏で、大きな称賛を集めた。1903年(1904年ともいわれる)に当時ロシア帝国の一部だったキーウで生まれたホロヴィッツは、母親にピアノの手ほどきを受けた後、キーウ音楽院で学んだ。卒業後はソビエト連邦となった母国で演奏活動を行って注目を集め、1926年にはベルリンに進出。続いてヨーロッパ各地で名声を高めた。1928年にアメリカデビューを飾るとRCAと契約してレコーディングを開始。1940年には妻であるトスカニーニの娘ワンダと共にアメリカに移住した。偉大なディスコグラフィ以外のホロヴィッツの重要なレガシーとしては、有名曲をイマジネーション豊かに、かつ名人芸をふんだんに盛り込んでアレンジしたトランスクリプションを挙げることができる。彼による、まるで悪魔の仕業のごとき超絶技巧を伴う編曲版は、今日のリサイタルやレコーディングでもしばしば取り上げられており、ラン・ランは、2011年のアルバム『Liszt, My Piano Hero』に収録した、リスト作曲、ホロヴィッツ編曲の「Hungarian Rhapsody No. 15 in A Minor, S. 244: Rakoczy March」を演奏会でもしばしば披露している。また、ユジャ・ワンは、2012年のアルバム『ファンタジア』に、ビゼー作曲、ホロヴィッツ編曲の「《カルメン》の主題による変奏曲」を収録した。輝かしいピアニスト人生を送ったホロヴィッツは1989年にこの世を去り、ミラノにあるトスカニーニ家の霊廟(れいびょう)に埋葬されている。