- エディターのおすすめ
- 1972 · コヴェント・ガーデン王立歌劇場合唱団、ジョーン・サザーランド、ルチアーノ・パヴァロッティ、コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団、リチャード・ボニング、シェルリ・ミルンズ、ニコライ・ギャウロフ
ガエターノ・ドニゼッティ
- Gilda Fiume、 ハンガリー放送合唱団、 ドニゼッティ・オペラ管弦楽団、 Corrado Rovaris、 Antonino Siragusa、 アドルフォ・コッラード、 Lodovico Filippo Ravizza
バイオグラフィー
1797年、イタリアのベルガモで、決して裕福とはいえない家庭に生まれたガエターノ・ドニゼッティは、およそ25年間のキャリアの中で70作を超えるベルカントオペラを生み出した。ドニゼッティは少年時代から指導を受けた音楽家Johann Simon Mayrの支援によってボローニャ音楽院で学び、1818年に作曲したデビュー作『Enrico di Borgogna』が認められて兵役を免除される。1822年にはナポリのサン・カルロ劇場に拠点を移し、それ以降、この劇場で51ものオペラを初演していった。その中には、ソプラノの高度な技術と表現力の見せ場である「狂乱の場」で知られる1835年の悲劇『Lucia di Lammermoor(ランメルモールのルチア)』も含まれる。また、この時代にミラノで初演された1830年の『Anna Bolena(アンナ・ボレーナ)』は歴史的大ヒットとなり、1832年の傑作喜劇『L’elisir d’amore(愛の妙薬)』は現在でも広く愛されている。一方、カトリック教会の検閲に悩まされたドニゼッティは、1838年にナポリからパリへと拠点を変え、その後は彼の地からイタリアやウィーンへと遠征するようになった。この頃にも、『La fille du régiment(連隊の娘)』(1840年)と『Don Pasquale(ドン・パスクワーレ)』(1843年)という二つの有名な喜劇を書いたが、晩年は精神に不調を来たし、1848年にこの世を去っている。