- エディターのおすすめ
- 2004 · アリシア・デ・ラローチャ
エンリケ・グラナドス
- Trevigi Guitar Trio、 ヨハネス・ブラームス、 エンリケ・グラナドス、 フランツ・シューベルト、 エドヴァルド・グリーグ、 Ragnhild Kristina Motzfeldt、 マヌエル・デ・ファリャ、 フーゴー・ヴォルフ
- Barcelona Guitar Quartet
バイオグラフィー
1867年にカタルーニャ地方の中心都市リェイダで生まれたエンリケ・グラナドスは、スペイン帝国の終焉(しゅうえん)後にスペイン音楽の新しいスタイルを確立しようとしたムーブメントのリーダー的存在だった。バルセロナでピアノを学んだグラナドスは、その後、民族主義的な作曲家Felipe Pedrellの下で学び、さらにパリでCharles-Wilfrid de Bériotの個人レッスンを受けている。Pedrell譲りのルーツミュージックを大切にする姿勢や、Bériotから受け継いだ洗練された音色を重要視するアプローチは、グラナドスの音楽に大きな影響を与えた。バルセロナで自身の音楽院を創立したグラナドスは、ピアニストのFrank Marshallを育て、同音楽院を引き継いだMarshallの門下からもピアニストのアリシア・デ・ラローチャをはじめとする音楽家たちを輩出した。つまり、教育者としての仕事に力を注いだグラナドスには、作曲に使える時間はそれほど多く残されていなかったのだが、彼は限られた時間の中で優れた作品を生み出した。国際的に知られた最初の作品は12曲から成るピアノ曲集『Danzas españolas(スペイン舞曲集)』(1890年)で、中でもスパニッシュギターの香り漂う「Andaluza(アンダルーサ)」は、特に広く知られている。画家であるフランシスコ・デ・ゴヤ(1746~1828年)の作品にインスパイアされたソロピアノのための組曲『Goyescas(ゴイェスカス)』(1911年)では、ゴヤの芸術とその時代のスピリットを音楽の中に凝縮した。スペインにおけるピアノ音楽の金字塔として現在でも高い評価を受けているこの作品の成功を受けて、グラナドスは1914年、この楽曲のメロディを基に同名のオペラを作曲する。このオペラの初演は第1次世界大戦が勃発したことにより、1916年にアメリカのニューヨークで行われた。しかし、初演からの帰路、グラナドスが乗っていたサセックス号は、英仏海峡を航行中にドイツの潜水艦からの魚雷攻撃を受け、波間に浮かぶ妻を助けるべく海に飛び込んだ彼は、帰らぬ人となった。