
- エディターのおすすめ
- 2008 · チャールズ・マッケラス、スコットランド室内管弦楽団
チャールズ・マッケラス
プレイリスト
ライブアルバム
シングル&EP
バイオグラフィー
チャールズ・マッケラスは、驚くほど幅広い音楽をレパートリーに取り入れていた。3世紀にわたる音楽を網羅し、手掛けたすべての作品において確固たる成果を上げたのだ。1925年にオーストラリア出身の両親の下、ニューヨーク州のスケネクタディで生まれたマッケラスは、その2年後、家族と共にオーストラリアに戻った。シドニーのオーケストラでオーボエ奏者を務めた後、ロンドンのSadler’s Wells Theatre Orchestra(現在のEnglish National Opera)に移った彼は、奨学金を得てプラハで伝説的指揮者ヴァーツラフ・ターリヒに師事。その過程でチェコ語を身に付けている。ロンドンに戻って指揮者としての活動を始めたマッケラスは、時代に先駆けて歴史的知識に基づくパフォーマンスに精力的に取り組む。ヘンデルの『Music for the Royal Fireworks(王宮の花火の音楽)』の録音では、オリジナル版の管楽器によるスコアを復活させるという画期的な試みを行い、モーツァルトの『Le nozze di Figaro(フィガロの結婚)』では、18世紀当時に流行していた声楽のアドリブ的な装飾をよみがえらせた。これらの手法に対しては、称賛の声も上がったが、激怒する者もいた。一方、マッケラスは同時代の多くの作曲家たちと違って、いわゆるライトクラシックを見下すことはせず、アーサー・サリヴァンの楽曲を自身で編曲したバレエ『Pineapple Poll』(1951年)を大成功させている。また、常に細心の注意を払ってリハーサルを行ったマッケラスは、手掛けるものすべてに新鮮な感覚でアプローチした。とりわけチェコ出身の作曲家、レオシュ・ヤナーチェクの音楽に対して情熱を注いだマッケラスは、劇場においてもレコーディングにおいても、彼のオペラを熱心に支持した。