- プラシド・ドミンゴ、 Remi Corazza、 アン・マレイ、 ジェームス・レヴァイン、 ホセ・ファン・ダム、 ウィーン国立歌劇場合唱団、 キャサリン・マルフィターノ、 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、 クルト・リドル
ジェームス・レヴァイン
バイオグラフィー
ニューヨーク、メトロポリタン歌劇場の音楽監督として通算2,552公演を指揮したジェームス・レヴァインは、1943年、ヴァイオリニストの父と元ブロードウェイ俳優の母の下、シンシナティで生まれた。ピアノの神童だったレヴァインは、10歳にしてシンシナティ交響楽団と共にメンデルスゾーンの『ピアノ協奏曲第2番』を演奏してコンサートデビューを飾るが、10代のうちに指揮への興味を深めていく。キャリアの初期からラビニア音楽祭(シカゴ交響楽団がレジデンスオーケストラを務める夏恒例のイベント)の音楽監督を務めるなどしてキャリアを積み、指導力を磨いていったレヴァインは、1971年にプッチーニの『トスカ』を指揮してメトロポリタン歌劇場に初登場する。そして、1975年には以後40年以上にわたる同歌劇場の音楽監督(後に芸術監督)としてのキャリアをスタート。ヴェルディやワーグナーの作品をはじめ、多くの演目を指揮した。レヴァインはその中で、ヴェルディのきらびやかな喜劇『ファルスタッフ』からリヒャルト・シュトラウスによる豪華絢爛(けんらん)なオペラ『ばらの騎士』、さらにはシェーンベルクによる現代オペラ『モーゼとアロン』まで、幅広いレパートリーを自在に演奏できるレベルにメトロポリタン歌劇場のオーケストラを育て上げた。世界に恥じない高い技術を備えるに至った同オーケストラは、レヴァインの指揮の下、カーネギーホールでの演奏会も行うようになる。またレヴァインによる、歌手に寄り添う伴奏のクオリティは、著名な歌手たちからも絶賛された。一方、レヴァインは、2004年から2011年までボストン交響楽団の音楽監督を務めた他、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団への客演も定期的に行った。しかし、その晩年はスキャンダルや病との闘いによって輝きを失ったものとなり、名指揮者は2021年にこの世を去った。