ウィリアム・ウォルトン

バイオグラフィー

ウィリアム・ウォルトンは、イギリスロマン派の作曲家たちのイディオムを継承しながらも、ジャズのリズムをはじめ、世界各地の音楽のエッセンスを吸収するなど、革新的な側面も持つ作曲家だった。1902年にランカシャーの工業都市オールダムにて、音楽教師で聖歌隊の指揮者も務めていた父の下に生まれたウォルトンは、1912年にはオックスフォードのクライストチャーチ大聖堂の合唱奨学金を獲得し、16歳になるとクライストチャーチカレッジに進学する。ここで知り合ったイギリス文壇の若き名士、シットウェル家の人々は、ウォルトンの類い稀な才能に感銘を受け、彼が作曲に専念できるように自分たちの邸宅に住まわせ、1922年にはウォルトンにとって初めてのイタリア訪問をアテンドした。シットウェル家の一員であるEdith Sitwell(イーディス・シットウェル)の詩に基づく、朗読と室内楽アンサンブルのための作品『Façade(ファサード)』(1922~1926年)は、さまざまな舞踊や音楽のスタイルを取り込んだ叙情性あふれる楽曲となっている。このようなウォルトンの叙情性は、エルガーやシベリウスの影響を感じさせるものであり、それは1929年の『Viola Concerto』にも1939年の『Violin Concerto』にもよく表れている。一方、合唱とオーケストラのための作品『Belshazzar’s Feast(ベルシャザール王の饗宴)』(1931年)や『Symphony No. 1』(1935年)、戴冠行進曲「Crown Imperial(王冠)」(1937年)といった楽曲では、躍動感あふれるリズムが際立っている。また第2次世界大戦中にはローレンス・オリヴィエが主演したシェイクスピアの原作による映画『Henry V(ヘンリー5世)』(1944年)など、愛国的な映画の音楽も書いた。戦後の1948年にイタリアのイスキア島に移住したウォルトンは、1954年にはオペラ『Troilus and Cressida(トロイラスとクレシダ)』を、1956年には『Cello Concerto』を作曲し、1983年に亡くなるまでの数年間は作曲のペースが落ちたものの、キャリアの終盤にも、管弦楽曲の『Capriccio burlesco(カプリッチョ・ブルレスコ)』(1968年)や『Façade 2(ファサード2)』(1977)などの傑作をものにした。

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